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なぜ4月19日が地図の日なのか?

なぜ4月19日は地図の日?

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伊能忠敬が出発した日

地図に関する歴史上の偉人といえば、日本人では伊能忠敬があまりにも有名ですね。その伊能忠敬が寛政12年旧暦閏4月19日に蝦夷地(現在の北海道)に向けて出発した日であることから、地図の日としてのちに制定されました。今でこそ、測量技術も進化しているので地図も当然ながら精度も確かなものがありますが、当時、伊能は歩き続けることで地図を完成したわけですから、どれだけ途方もない事業であったかが想像できるでしょう。

 

地図を作るようになった経緯

伊能は、18歳の時に千葉県で日本酒の醸造などの事業を行っていた伊能家の婿として迎えられます。その後手腕を発揮して事業を成功させてきた伊能は、50歳で隠居をします。50歳で隠居だというのは、今の時代でとうてい考えられないことですね。隠居をしてからは、彼の向上心は暦学を極めることに集中しました。そのため、千葉から江戸に向かったわけです。事業でも暦学でも一度決めたらやり通す強い意志の持ち主だと想像できますね。

 

なぜ蝦夷地を目指したのか?

江戸に着いてから伊能は、天文台を自宅に設置したり測量の勉強を熱心にしたりしていました。しかし、地球の大きさや緯度・経度を知るためには机上の論理だけでは理解できないと、江戸からまず蝦夷地までの距離を測量することが必要と考え向かったそうです。現在と違い、蝦夷地へ向かうには幕府の許可が必要だったので、伊能が師事していた高橋至時は、幕府に正しい地図を作るために許可をして欲しいと願い出ました。幕府からの許可が出たのが寛政12年(1800年)年4月15日。わずかその4日後には、伊能は蝦夷地へ向かい始めたわけです。

こうして測量された日本地図ですが完了したのが1815年ですので、始めの作成から15年が過ぎていたわけですね。繋ぎ合わせる作業の段階で、伊能は73歳で病死したそうですので、最終的な完成は見ずに旅立ったのは無念だったのではないでしょうか?1821年に江戸城で日本初の実測地図「大日本沿海輿地全地」が完成しました。

 

まとめ

当たり前のように日本の地図を見る現代ですが、伊能忠敬の地図への情熱があってこそ、地図を活用できるようになったわけです。4月19日は、私たちが知る日本列島の姿を測量して行く初めて足を踏み出した日と分かると、途方もなく遠い距離を測量して回った偉業を肌で感じるのではないでしょうか?

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