中学受験 歴史シリーズ。第16回目は『日本の歴史 – 近代(明治時代3)』です。
前回の講義『日本の歴史 – 近代(明治時代2)』では、外交関係や、立憲国家の始動について見てきました。
大日本帝国憲法の制定と国会を開設した明治政府は、未だに残る不平等条約を改正させる為、さらに近代国家への歩みを急速に進めていきます。一方で、世界の列強と呼ばれるヨーロッパ諸国やアメリカは、植民地を拡大していきました。アフリカはイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどに分割され、アジアでも、タイ以外の国は植民地化されました。明治政府も列強に対抗するために、戦争の時代へと突入します。当時の日本はアジアの国々の中で、経済力、軍事力共にトップクラスであり、戦争で連勝を続け、ついに条約改正を実現しました。欧米に追い付け追い越せと近代化を推し進めてきた明治政府の努力が結実しました。明治時代後半は日本の領土が今よりもずっと広かった時代です。当時の日本の領土であった地名をしっかり覚えるようにしましょう。
それでは確認していきましょう。
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前回までの学習内容【おさらい】
本題に入る前に、前回までに学習したことをおさらいしましょう。歴史の学習は連続性が重要です。歴史の分野では毎回、復習問題をまず解いてから始めましょう。
問題1 新政府の要職を薩摩・長州出身者が占め、専制政治を行ったため、士族たちは政府に強い不満を持ったが、このような政治を【 】政治と呼ぶ。
問題2 1877年に薩摩の士族が起こした最後で最大の反乱を【 】と呼ぶ。
問題3 問2の反乱の中心人物は明治政府で征韓論を唱えていた【 】である。
問題4 1874年に板垣退助らが政府に提出した国会の開設を求める意見書を【 】という。
問題5 政府の専制政治を批判し、議会政治の実現や憲法の制定を求めた運動を【 】と呼ぶ。
問題6 北海道開発の為の施設を民間に安く払い下げようとしたことをきっかけに政府への批判が高まり、政府は10年後に【 】を開くことを約束した。
問題7 憲法の制定にあたり、ヨーロッパ各国に憲法の研究に赴き、草案作成の中心人物になったのは【 】である。
問題8 憲法の制定にあたり、君主制という共通点から、【 】の憲法を参考にした。
問題9 【 】は1889年2月11日に天皇が国民に与えるという形で発布された。
問題10 1885年に内閣制度がつくられたが、初代内閣総理大臣は【 】である。
問題11 1890年、第1回【 】が開かれ、議会政治が始まった。
問題12 初めての総選挙では、直接国税【 】以上を納める【 】以上の男子のみに選挙権が与えられた。
▼ 解答をみる
条約改正と日清・日露戦争
明治時代の後半は、明治政府樹立当初からの目標である条約改正、そして欧米列強に対抗する為の領土獲得の為の戦争に邁進します。しかし、日本は中国、そしてロシアとの戦いを有利に進めた為に日本国内が戦場になることはなく、結果的に産業は益々発展しました。また、日本の国際的地位が高まり、ついに不平等条約の改正が実現します。また、戦争が集結すると、必ず相手国と戦後賠償や領土の取り決めを交わす新たな条約も結ばれます。戦争に勝つことで、この時代の日本は領土を次々に拡大していました。どの戦争で何条約が結ばれ、そしてどの領土を得たのか、しっかり覚えましょう。
条約改正に向けて
不平等条約の改正は1880年代に入っても実現せず、憲法の制定準備と共に、明治政府は文化をヨーロッパ風に変えることで欧米から日本が文明国家であることを認めてもらおうと、欧化政策を取った。しかし、欧米からは猿真似と冷笑され、失敗に終わる。そんな中、ノルマントン号事件が発生し、条約改正に向けての国内世論が一気に高まった。
欧化政策
外務大臣井上馨が中心となり、文化・制度・風俗・習慣をヨーロッパ風にして欧米諸国に日本が近代化した事実を認めてもらい、国際法の適用対象として文明国の一員になることを目指した。
鹿鳴館 完成(1883年)
日比谷に建設された欧化政策の象徴的建造物。政府高官や外交団を招き、西洋式の舞踏会を開催した。井上馨自らが館長となった。しかし、西欧式舞踏会のマナーやエチケットを知る人は少なく、滑稽と笑われた。国内からも反発が上がり、井上馨は1987年9月に外務大臣を辞任した。
ノルマントン号事件(1886年)
和歌山沖でイギリス船ノルマントン号が沈没、船長以下イギリス人やドイツ人からなる乗組員は全員救命ボートで脱出していながら、日本人乗客のみが全員救助されず、死亡した事件。しかし、船長及び乗組員は治外法権により、無罪判決が下された。これをきっかけに条約改正への世論がさらに高まり、弱腰外交と政府は非難された。
不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃)
日英通商航海条約 1894年7月
日清戦争開戦の直前、イギリスと外交交渉を行い、イギリスが日清戦争において、日本、清どちらにも中立的立場を取ることを確認した。そして、日英通商航海条約(領事裁判権と協定関税率を定めた幕末の日英修好通商条約を改訂)を締結した。
主な内容は、領事裁判権撤廃、関税自主権の部分的回復。イギリスは、ロシアの南下政策に対抗するための日本の軍事力を期待していた。また、日本にとっては、事実上、イギリスが後ろ盾についたことで、日清戦争開戦の契機になったとも言われている。調印当時の外務大臣は陸奥宗光。この後、翌1895年にかけて同内容の条約をアメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、オランダ、イタリアなど14カ国とも調印し、欧米列強と対等の関係に入った。しかし、関税自主権に関しては、部分的回復に留まり、完全回復するのはしばらく先のこととなる。
日清戦争(1894年7月)
当時の東アジア情勢は列強の支配が強まり、日本の危機感が高まっていた。大国ロシアが凍らない港を得る為に南下政策を進め、朝鮮半島や中国(清)の遼東半島進出を画策し、インドシナ半島(ベトナムなど)はフランスの植民地となった。ロシアの脅威が迫っている朝鮮は親日派、親中派で分裂し、清は朝鮮の宗主国を主張した。そのような背景から、日本は朝鮮を属国と見なす清と対立するようになり、朝鮮半島への進出を目指すことになった。つまり、日清戦争は清との戦いではあるが、主に朝鮮半島を戦場とした戦争であることが特徴でもある。
【原因】甲午農民戦争(東学党の乱)1894年1月
重税に苦しむ朝鮮農村部の疲弊及び排日運動による農民の乱(東学党と呼ばれる宗教結社が指導)。この乱を鎮圧出来なかった朝鮮は清に救援を要請。日本はこれに便乗し、乱を鎮圧する名目で出兵、清に宣戦布告した。
【結果】日本の圧倒的勝利
清との間に下関条約締結(1895年)
下関条約
【内容】
- 清は朝鮮の独立を認める。→大韓帝国へ。
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本へ割譲。
- 清は賠償金、2億両(約3億1000万円)を支払う。→八幡製鉄所の建設など軍備拡張へ
三国干渉
下関条約によって遼東半島の日本領有が決まると、それを不服とするロシアがドイツ、フランスと共に遼東半島を清に返還するように日本に迫って来た。日本はやむなく返還したが、ロシアに対する国民感情が悪化。
【結果】
中国分割:山東半島がドイツ、中国南部がフランスに割譲され、ロシアは遼東半島を租借した。
日露戦争(1904年)
日清戦争が終わって9年後、日本は大国ロシアとの戦争を始めることとなった。不凍港として、遼東半島を手に入れたロシアは、満州(中国東北部)、さらに朝鮮半島への進出を画策していた。日本にとっては、ロシアの南下政策による侵略を防ぎ、さらに朝鮮半島を守ることを開戦の目的とした。また、ロシアは西側でも南下政策を進めており、ヨーロッパ内でロシアと敵対。またアヘン戦争以来、イギリスが持っていた中国国内の権益が、ロシア、フランスに侵略されていた。そこで、1902年、日本とイギリスとの間に1日英同盟(軍事同盟)が結ばれ、開戦の契機となった。
【原因】義和団事件(中国 北京)1899年
列強による侵略を受けていた中国(清)で扶清滅洋(清朝をたすけ、外国を滅ぼすの意味)を唱え、列国に宣戦布告。宗教結社義和団が生活に苦しむ農民を集め、外国人やキリスト教会を襲い、列強の公使館を襲撃した事件。日本、ロシアを中心とした列強8か国の連合軍がこれを鎮圧、ロシアはこれに乗じて満州を占領し、事件鎮圧後も軍を撤退せずに、朝鮮半島進出の足掛かりとした。これに対抗する為に、日英同盟を結び、そして日露戦争へ突入した。
【結果】
日本海海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊が、当時最強と呼ばれていたバルチック艦隊を破った。バルチック艦隊が壊滅するという誰もが予想しなかった結果は列強諸国を驚愕させた。しかし、全体的に見ると、実際は引き分けに近い状況で、圧勝ではなく辛勝。アメリカの仲介により終戦。
終戦間際の両国の状況
- 日本:大国を相手に消耗戦を続けてきたことで、戦力は限界を迎えていた
- ロシア:国内で革命が発生
両国とも戦争継続が困難になったことが、直接的な終戦のきっかけ。
ポーツマス条約(1905年)
アメリカ(セオドアルーズベルト大統領)の仲介により締結。日本は小村寿太郎、ロシアはヴィッテによって調印される。
【内容】
- 韓国における日本の優越権を認める
- 旅順・大連(遼東半島)の租借権・長春以南の鉄道(後の満州鉄道)の利権を日本に譲る
- 北緯50度以南の樺太の割譲 など。
但し、完全な勝利ではないため、賠償金を得られなかった。しかし、消耗戦(増税、100万人以上が動員、死傷者も27万人)で国内は疲弊しており、反発が高まった。日比谷焼き討ち事件の発生。
日露戦争後の情勢
ポーツマス条約で韓国や中国東北部(満州)での優越権を認められた日本は、それら地域への支配を強めていく。また、日本の国際的地位が向上し、欧米列強から認められるようになり、ついに関税自主権の回復が実現します。
満州地方と南満州鉄道の路線(赤線)
※満州国については昭和時代に学習します。
韓国(ソウル):韓国統監府を設置(1905年)
皇帝の退位、外交権掌握、軍隊を解散させるなどして、日本は韓国を保護国とした。初代統監は伊藤博文(ハルビン駅で1910年、安重根により暗殺される)。韓国内で激しい抵抗運動が起きるが、武力でこれを鎮圧し、1910年に韓国を植民地化(韓国併合)した。韓国統監府は朝鮮総督府になる。
中国(満州):関東都督府設置(1906年)
ロシアの脅威に備えるための軍事組織。ロシアより譲り受けた長春以南の鉄道を防衛するために設置された。この鉄道はこの後、南満州鉄道株式会社(満鉄)となり、日本によって運営された。さらに沿線で炭鉱・製鉄所なども経営され、満州での日本の利権を拡大していった。
中華民国の成立(辛亥革命)1911年
清(満州民族)による支配への不満が高まり、16の省が清からの独立を宣言。南京を首都とする中華民国が成立した。臨時大総統に三民主義(民族・民権・民生)を唱える孫文(国民党)が就任し、アジアで最初の共和国となった。しかし、第二代臨時大総統、袁世凱は専制を行い、後に国民党を弾圧する。孫文は日本へ亡命。
条約改正の実現(関税自主権)1911年
新しい日米通商航海条約を締結し、アメリカとの間で関税自主権を完全に回復した。調印当時の外務大臣は小村寿太郎。この後、他の国々も追従し、1858年の江戸幕府による日米修好通商条約締結から半世紀以上の年月を経て、不平等条約はすべて改正た。日本はようやく、欧米諸国と対等にわたり合える国になった。
産業革命の進展
明治初期から殖産興業に努めてきた明治政府は官営工場を民間に払い下げ、またその技術で民間の工場や産業がますます発展するように促しました。政府の目論見は的中し、日清・日露戦争のさなか、日本国内では産業革命が進みました。明治政府には先見の明があったと言えます。この産業革命は二段階に分けられ、日清戦争の頃から軽工業を中心に産業革命が起こり、その後、日清戦争の賠償金が軍需産業に使われたこともあり、今度は重工業で産業革命が起こります。1901年には官営八幡製鉄所が操業を始めました。
紡績や鉄道の会社設立ブーム(1880年~)
紡績
産業革命の中心。製糸。日露戦争後は世界最大の生糸輸出国に。生糸(綿糸)は蚕のまゆから作られ、国産で賄える。綿糸は綿花から作り、原料は輸入に頼る。農村部では養蚕業が発達。
鉄道
1901年 青森~下関間鉄道連絡。日本鉄道~東海道本線~山陽鉄道。営業キロで民営>官営
1906年 主要路線の国有化。(鉄道国有法)
重工業(主に製鉄)が発達(1890年~)
1901年 八幡製鉄所操業(官営)
- 動力源:石炭(筑豊炭田から)
- 場所:福岡県北九州
1907年 日本製鋼所(三井系)設立
- 動力源:幌内炭鉱から
- 場所 北海道室蘭
その他 長崎造船所、釜石製鉄所などが操業を始める。
財閥の形成
三井、三菱などの資本家は財閥を形成し、銀行や各種産業を支配して経済や政治に影響力を持つようになった。
社会運動の発生
賃金労働者の増加。ほとんどは農村からの出稼ぎ労働者(主に繊維産業)。待遇改善や賃金値上げの求める労働争議が発生。資本家と労働者が対立し、労働組合期成会が結成。
足尾銅山鉱毒事件(1891年)
渡良瀬川の上流に足尾銅山の鉱毒が流れ込み、流域の農業や漁業に公害問題をもたらす。栃木県の代議士、田中正造が解決を試みる。
社会主義政党が結成される
社会民主党(1901年)・日本社会党(1906)が結成されるが、いずれも直後に解散させられる。⇒治安警察法による取り締まり。
大逆事件
社会主義者の大弾圧。幸徳秋水ら社会主義者が天皇暗殺を企てたとして、逮捕される。12名が死刑になる。
歴史の学習
中学受験の多くを占める歴史は、年表や人物名など暗記部分が大量になります。年代ごとにまとめたり、人物にフォーカスして時代背景を学んだり、文化財や地理的要素から歴史を探るという方法もあります。膨大な知識が必要となる歴史ですが、興味のある角度から切り取っていくと案外スッと覚えることができます。
No. | テーマ | 内容 |
1 | 旧石器時代・縄文時代 |
旧石器時代、縄文時代の暮らしや文化を解説。 |
2 | 弥生時代 |
古代、弥生時代の暮らしや文化を解説。 |
3 | 古墳時代・飛鳥時代1 |
古代、古墳時代、飛鳥時代、氏姓制度、古墳時代の終焉から 聖徳太子の時代、飛鳥時代の始まりを解説。 |
4 | 飛鳥時代2・奈良時代1 |
古代、飛鳥時代、奈良時代、大化の改新、平城京、 聖武天皇と仏法などを解説。 |
5 | 奈良時代2・平安時代1・平安時代2 |
古代、奈良時代、平安時代、藤原氏の摂関政治、 浄土真宗、武士の台頭、源氏の進出を解説。 |
6 | 平安時代3・鎌倉時代 |
中世、平安時代、鎌倉時代、平氏、封建制度、 執権政治、承久の乱暮を解説。 |
7 | 室町時代 |
中世、室町時代、南北朝の動乱、 東アジアの情勢、経済、産業を解説。 |
8 | 戦国時代 |
中世、戦国時代、都市の発展、ヨーロッパの 状況や文化を解説。 |
9 | 安土桃山時代 |
中世、安土桃山時代、織田信長、豊臣秀吉、 徳川家康の天下統一を解説。 |
10 | 江戸時代1 |
近世、江戸幕府の成立、外交、鎖国、 徳川綱吉の時代を解説。 |
11 | 江戸時代2 |
近世、江戸時代、産業の発展と文化、 三大改革を解説。 |
12 | 江戸時代3 |
近世、江戸時代、ヨーロッパ諸国の市民革命、 産業革命を解説。 |
13 | 江戸時代4 |
近世、江戸時代、ペリー来航、大政奉還、 江戸幕府滅亡を解説。 |
14 | 明治時代1 |
近世、明治時代、明治維新、富国強兵、 文明開花を解説。 |
15 | 明治時代2 |
近世、明治時代、西南戦争、大日本帝国憲法の制定、 立憲国家を解説。 |
16 | 明治時代3 |
近世、明治時代、日清・日露戦争、産業革命、 日本の領土を解説。 |
17 | 大正時代 |
近代、大正時代、第一次世界大戦、 大正デモクラシーを解説。 |
18 | 昭和時代1 |
近代、昭和時代、、関東大震災、満州事変、 日中戦争、世界恐慌を解説。 |
19 | 昭和時代2 |
近代、昭和時代、領土、民主化政策、 第二次世界大戦を解説。 |
20 | 昭和時代3 |
近代、昭和時代、高度経済成長、第一次石油危機、 戦後の国際関係を解説。 |
21 | 平成1 |
現代、平成、バブル崩壊、冷戦、 文化、経済を解説。 |
22 | 平成2・令和 | 現代、平成、令和の経済、政権交代、東日本大震災など 日本を取り巻く環境を解説。 |
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