中学受験 歴史シリーズ。第10回目は『日本の歴史 – 近世(江戸時代1)』です。
前回の講義『日本の歴史 – 中世(安土桃山時代)』では、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下統一までの流れについて見てきました。
前回学習した通り、徳川家康は駿河国の今川氏に従う三河国(愛知県東部)の小大名でしたが、1590年に小田原の北条氏が滅んだあとは、豊臣秀吉の命で関東へ移され、江戸を本拠地としました。そして、1600年の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は1603年に征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開きました。現在、日本の首都は東京ですが、これは江戸時代に徳川家康が江戸に幕府を開いて以来、脈々と受け継がれています。今の東京の街にも江戸時代の痕跡がまだ残っているところもあります。近代日本の礎を築いたのが江戸時代です。大きな歴史のくくりでは、中世から近世に変わります。今回は江戸幕府の成立から、安定政権を築くまでを学習します。以来、250年間続く、安定した徳川政権はどのようにして維持されていったのでしょうか?
それでは確認していきましょう。
※このサイトは広告が含まれております。リンク先の他社サイトにてお買い求めの商品、サービス等について一切の責任を負いません。
前回までの学習内容【おさらい】
本題に入る前に、前回までに学習したことをおさらいしましょう。歴史の学習は連続性が重要です。歴史の分野では毎回、復習問題をまず解いてから始めましょう。
問題1 1560年、織田信長が今川義元を破った戦いは【 】である。
問題2 1573年、織田信長は将軍【 】を追放し、室町幕府を滅ぼした。
問題3 1575年、【 】の鉄砲隊による集団戦法で織田信長は甲斐の【武田信玄】を破った。
問題4 問3の闘いを【 】呼ぶ。
問題5 1582年、織田信長は明智光秀の裏切りにより【 】で自害した。
問題6 織田信長の死後、豊臣秀吉は【 】で明智光秀を破った。
問題7 1590年、豊臣秀吉は小田原の【 】と破り、天下統一を果たした。
問題8 1582年、豊臣秀吉は全国統一のものさしで土地を調査する【 】を実施した。
問題9 1585年、豊臣秀吉は農民から武器を取り上げる【 】を行った。
問題10 問9の事業は、【 】の大仏を作る為という名目で行われた。
問題11 豊臣秀吉はキリスト教宣教師を追放する【 】を1587年に制定した。
問題12 安土桃山時代に茶の湯を茶道として大成した人物は【 】である。
問題13 安土桃山時代にかぶき踊りを始めたのは【 】である。
▼ 解答をみる
江戸幕府の成立と幕藩体制の確立
これまで、鎌倉、室町とあまり長続きしなかった幕府による政治ですが、江戸幕府は、幕府が藩(地方)を強く統制し、さらに藩が人民を統治するという幕藩体制を取り、大名たちは幕府に逆らえなくなりました。そして、鎌倉時代を除いて、西日本が日本の中心でしたが、その名の通り、日本の中心が江戸(東京)となり、この安定した世の中で、今日の東京の元となる部分が形作られていきました。
徳川家康が征夷大将軍に任命(1603年)
江戸城を本拠地とする。1605年には将軍職を子の徳川秀忠(第二代将軍)に譲って、駿府城(現在の静岡県静岡市)に隠居し、「大御所」となる。家康は秀忠の権威に配慮しつつも政治を主導し大御所政治を行った。
徳川家康と東照宮
徳川家康は1616年に死去しますが、遺体は遺言にも基づき久能山(静岡市清水区)に葬られました。遺体はその後に日光(栃木県日光市)へと移され、久能山と日光には東照宮が造営されました。この他にも、東照宮は全国に存在しますが、これらは全てご神体として徳川家康(東照大権現)を祀っています。その総本山が日光東照宮です。
幕藩体制
将軍と大名が土地と人民を統治する仕組み、三代将軍徳川家光の時代までに完成。
大名の支配
- 天領(幕領):幕府の領地。西軍の大名から領地を取り上げ、幕府の直轄地とする。大阪・堺・京都・長崎などの重要地。
- 鉱山など:直接幕府が統治(佐渡・石見・足尾など)。大名の収入源とさせない為。
- 親藩:徳川家一族 ※御三家 紀伊・尾張・水戸の3藩(徳川家康の子供)
- 譜代大名:関ヶ原以前からの家臣。待遇→領地は少ないが、重要な土地に近い。
- 外様大名:関ヶ原以降の家臣。待遇→江戸から遠いが、領地は大きい。
幕府と旗本・御家人
徳川将軍家直属の家臣のうち、石高が1万石以下で、将軍に直接お目通り出来る(会うことが出来る)御目見以上の武士を旗本、御目見以下の者を御家人と呼び,両者を直参と称した。江戸幕府の領地は、天領と、これら旗本、御家人の領地を合わせると、全国3000石のうちの約4分の1を占めた。
石高制
土地の値打ちを表す単位。秀吉の太閤検知の以後、土地の米の収穫高で土地の値打ちを表し、石高と呼ばれた。田畑・屋敷の面積ごとに等級に応じた石盛(米の反あたり収穫量)をかけて分米(収穫量)を計算した。大名や旗本の領地や村の面積も,全て石高で示しめされた。1石は約15㎏。
大名その他の取り締まり
武家諸法度の制定(1615年)
大名が守らねばならない決まり。二代将軍徳川秀忠が制定。大名の強大化の防止のため。幕府の許可なく城の修理、建設の禁止。一つの国に1つの城しか持ってはいけない。幕府の許可なく、大名家同士での結婚の禁止。
禁中並公家所法度(1615年)
天皇の政治介入を防止。
参勤交代(1635年)
3代将軍、徳川家光が制定(武家諸法度に追加する形)。大名は1年間を江戸,次の1年を領地で過ごす。大名の収入(石高)により、規模が決まる。自分の領地から江戸までの旅費だけでなく、江戸の滞在費までも大名に負担させていたため、各藩に財政的負担を掛けると共に、大名の妻や子供を江戸に人質として取る形となり、諸藩の軍事力を低下、反乱防止の役割を果たした。
※大名行列:大名が家臣や付き添いの者を引き連れて外出する際に取る行列。参勤交代における江戸と領地との往来では、行列に加わる人数は数千人規模になる藩もあった。また、行列の最中、庶民はこの列の通過中に横断してはならず、道の脇によけなければならない。列を乱した場合は、問答無用で、斬り捨てられる場合もあった。
加賀百万石とも言われる加賀藩の大名行列は大名行列の中でも最大の規模で、2000人~4000人の従者を引き連れ(行列の長さは最大で4kmほど)、10日以上かけて江戸まで参勤した。経費は現在の価値で、1億円~2億円とも言われている。
農民の統制
身分制度(士農工商)
武士の子は武士に、農民の子は農民にしかなれない仕組み。身分の高い順に、武士7%・農民85%・町人商人5%の人口比率。
- 武士の特権:苗字帯刀、斬捨御免
- 農民:天下の根本。身分だけは高い。(武士の次)
- 士農工商に属さない被差別人種の存在:えた・非人など(一番身分の低い商人町人の不満解消の為)
慶安の御触書(1649年)
農民は「生かさぬよう、殺さぬよう」。生活を厳しく統制する決まり。米は飢饉に備え、あまり食べてはいけない、酒や茶は買って飲んではいけない等。
五人組
一人が罪を犯したら全員が処罰される。連帯責任を負う。
村役人(村方三役)
名主・組頭・百姓代を地域の有力なリーダーとして設置。
豊臣氏の滅亡
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康にとって、最後の課題は大坂城を居城とする豊臣秀頼の存在です。豊臣家への忠誠の姿勢をもつ大名も多く残ることから、徳川家の権力を絶対的なものにするため、家康は豊臣家滅亡のチャンスをうかがっていました。その引き金となったのが1614年の「方広寺鐘銘事件」です。方広寺の鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家を冒涜し豊臣家の繁栄を願うものであるとし、これを言いがかりとして、徳川陣営は大坂城に攻め込みます。
- 大阪冬の陣(1614年):決着つかず。大阪城の外堀を埋めることで講和。
- 大阪冬の陣(1615年):外堀・内堀を埋めてから再攻撃。豊臣秀頼が自殺。徳川家滅亡。
この後、すぐに武家諸法度を制定し、徳川家支配による秩序確立を果たしていくこととなりました。
江戸時代前期の外交
江戸時代が長く続いた理由の一つに、特徴的な外交体制があります。江戸幕府が開かれた当初は、豊臣秀吉の時代の朱印船貿易などを引き継いでいましたが、三大将軍家光の時代には、一部の国以外との外交を閉ざし、日本人も海外に行けない世の中になります。この期間に世界の進歩から取り残され、また、世界に広まった中国人街に対し、日本人街は衰退し、今日、日本が世界的な競争力で劣る要因にもなっています。キリスト教に関しても、秀吉の時代を引き続き、禁止の立場でしたが、家光の時代以降、取り締まりがより厳しくなります。
当初の外交姿勢
【きっかけ】
リーフデ号事件(1600年)。大分県にオランダの商船が漂着(日本に到達した初のオランダ商船)。
【結果】
- 家康はリーフデ号に載っていた大砲などの武器を関ヶ原の戦いで活用したと言われる。
- 乗船していた数少ない生存者のうち、ヤン・ヨーステン(蘭)・ウィリアムズ・アダムズ(英)を幕府外交顧問とする。※ポルトガルやスペインの宣教師たちは処刑を要求(キリスト教に対する立場から、オランダとは敵対していた為)。オランダはプロテスタント系のである為、布教をする心配がなく、幕府には好都合だった。
- 特に家康に気に入られたウィリアムズ・アダムズは250石取りの旗本に取り立てられ、、相模国(三浦半島)に土地と、三浦按針の日本名を与えられた。幕府では造船や通訳の分野で活躍した。
- ヤン・ヨーステンは江戸城の内堀沿いに屋敷を貰い、日本人と結婚。屋敷のあった現在の中央区八重洲の地名はヤン・ヨーステンが訛って「八重洲」になったと言われている。
朱印船貿易
家康が許可状を与えた船による東南アジア貿易。秀吉の時代の貿易の継続だが、江戸時代初期に最盛期を迎える。東南アジア各地に日本町がつくられるようになる。タイ、アユタヤの山田長政は当地で役人になるなど、活躍する日本人もいた。
※南蛮貿易も引き続き、継続していた。
鎖国への道
国を外国に閉ざした江戸幕府。
【理由】キリスト教の完全禁止、神の教えが絶対が幕府と対立・団結,反乱の恐れがあるから。1614年に禁教令を制定。またこの他に、幕府による貿易利益の独占、西国の大名の強大化の防止という意味合いもあった。ウィリアムズ・アダムズはこれに反対し、徳川家康の死後は、不遇の余勢を送ったと言われている。
【恐れていた事態】島原天草一揆(1637年)。重い年貢、キリスト教禁教に対して、キリシタンである天草四郎を中心に農民が反乱。老中、松平家綱が鎮圧。
【対策】キリスト教禁止の徹底
- 踏絵:キリストの絵を踏ませて、キリスト教信者であるか否かを確認する。
- 寺請け制度:全ての農民は寺に所属させる。
それでも、隠れてキリスト教を信仰するものは後を絶たなかった(隠れキリシタン)
※マリア観音:観音菩薩像を聖母マリア像に見立てて、信仰の対象にしていた。
鎖国の完成
日本人も出国・帰国できない。
鎖国令
- スペイン船の来航禁止(1624年)
- 日本人の海外渡航・帰国の禁止(1635年)朱印船貿易の終了
- ポルトガル船の来航禁止(1639年)これをもって鎖国完成
鎖国中の貿易・外交
長崎の出島などで、限られた国とのみ貿易を行った。
オランダ
長崎の出島に商館建設 世界情勢を知るためにオランダ風説書の提出を義務付け。
※出島:江戸幕府が長崎に建造した人工島。この中でのみオランダ人の活動が許可された。
清(中国)
貿易港は長崎。キリスト教徒ではない中国人は長崎市内に雑居することを許されていたが、後に中国人街区である唐人屋敷を建設し、その中での居住に制限された。出入りはオランダ人に比べると自由に出来た。
その他
- 朝鮮:国交回復。対馬藩が仲介し、将軍の代替わりごとに朝鮮通信使を派遣。
- 沖縄(琉球王国):薩摩藩が征服。中国との貿易を継続し、利益を得る。
- 北海道(蝦夷地):松前藩が南部を支配。アイヌ人に不利な条件での交易。シャクシャインの反乱。
安定の時代
5代将軍徳川綱吉の時代になると、江戸幕府の体制は盤石なものになり、対抗勢力による攻撃や、農民やキリシタンによる反乱も減少し、平和な世の中が訪れていました。これまでは、武力に頼っていた幕府運営も、学問による政治に切り替わりつつありました。しかし、綱吉が極度に学問や宗教に傾倒した結果、世の中は乱れました。
徳川綱吉の時代(元禄時代)
これまでの武断政治から文治政治へ、つまり武力による政治から学問による政治へ体制が変わっていく。江戸時代には儒学の中でも特に朱子学身分秩序を重んじる)と呼ばれる学問が特に重視されていた。
- 儒学:孔子の教え(論語にまとめられている)。徳川綱吉が孔子を祀る為の湯島聖堂(昌平坂学問所)を建設。
- 朱子学:林羅山が家康に仕え、江戸幕府に浸透していた。
生類憐みの令
全ての生物の殺生の禁止。食料がなくても動物を食べられない。
【理由】仏教の教えによる。動物を大事にしないといけない。結果、徳川綱吉についたあだ名は「犬公方」。
【結果】綱吉が仏教を重視したことにより、寺社の建設、改修も増加し、幕府の財政が悪化する。さらに、富士山の爆発や江戸の大火といった災害も続き、財政悪化に追い打ちをかける。
【対策】小判の質を落とす(元禄小判)。しかし、質を落とした分、小判への信用も下がり、物価が高騰。社会はさらに混乱(悪循環)。後に、生類憐みの令は「天下の悪法」と呼ばれる。
正徳の治
新井白石(6代・7代将軍である徳川家宣、徳川家継に仕えた儒学者)による政治。綱吉の時代に乱れた政治の立て直しを行った。生類憐みの令廃止、小判(貨幣)の質を戻す、長崎貿易の制限(金銀流出の防止)など。
歴史の学習
中学受験の多くを占める歴史は、年表や人物名など暗記部分が大量になります。年代ごとにまとめたり、人物にフォーカスして時代背景を学んだり、文化財や地理的要素から歴史を探るという方法もあります。膨大な知識が必要となる歴史ですが、興味のある角度から切り取っていくと案外スッと覚えることができます。
No. | テーマ | 内容 |
1 | 旧石器時代・縄文時代 |
旧石器時代、縄文時代の暮らしや文化を解説。 |
2 | 弥生時代 |
古代、弥生時代の暮らしや文化を解説。 |
3 | 古墳時代・飛鳥時代1 |
古代、古墳時代、飛鳥時代、氏姓制度、古墳時代の終焉から 聖徳太子の時代、飛鳥時代の始まりを解説。 |
4 | 飛鳥時代2・奈良時代1 |
古代、飛鳥時代、奈良時代、大化の改新、平城京、 聖武天皇と仏法などを解説。 |
5 | 奈良時代2・平安時代1・平安時代2 |
古代、奈良時代、平安時代、藤原氏の摂関政治、 浄土真宗、武士の台頭、源氏の進出を解説。 |
6 | 平安時代3・鎌倉時代 |
中世、平安時代、鎌倉時代、平氏、封建制度、 執権政治、承久の乱暮を解説。 |
7 | 室町時代 |
中世、室町時代、南北朝の動乱、 東アジアの情勢、経済、産業を解説。 |
8 | 戦国時代 |
中世、戦国時代、都市の発展、ヨーロッパの 状況や文化を解説。 |
9 | 安土桃山時代 |
中世、安土桃山時代、織田信長、豊臣秀吉、 徳川家康の天下統一を解説。 |
10 | 江戸時代1 |
近世、江戸幕府の成立、外交、鎖国、 徳川綱吉の時代を解説。 |
11 | 江戸時代2 |
近世、江戸時代、産業の発展と文化、 三大改革を解説。 |
12 | 江戸時代3 |
近世、江戸時代、ヨーロッパ諸国の市民革命、 産業革命を解説。 |
13 | 江戸時代4 |
近世、江戸時代、ペリー来航、大政奉還、 江戸幕府滅亡を解説。 |
14 | 明治時代1 |
近世、明治時代、明治維新、富国強兵、 文明開花を解説。 |
15 | 明治時代2 |
近世、明治時代、西南戦争、大日本帝国憲法の制定、 立憲国家を解説。 |
16 | 明治時代3 |
近世、明治時代、日清・日露戦争、産業革命、 日本の領土を解説。 |
17 | 大正時代 |
近代、大正時代、第一次世界大戦、 大正デモクラシーを解説。 |
18 | 昭和時代1 |
近代、昭和時代、、関東大震災、満州事変、 日中戦争、世界恐慌を解説。 |
19 | 昭和時代2 |
近代、昭和時代、領土、民主化政策、 第二次世界大戦を解説。 |
20 | 昭和時代3 |
近代、昭和時代、高度経済成長、第一次石油危機、 戦後の国際関係を解説。 |
21 | 平成1 |
現代、平成、バブル崩壊、冷戦、 文化、経済を解説。 |
22 | 平成2・令和 | 現代、平成、令和の経済、政権交代、東日本大震災など 日本を取り巻く環境を解説。 |
関連記事中学受験「歴史」の学習におすすめの教科書・参考書ランキング10選
関連記事中学受験「歴史」の学習におすすめの雑学系書籍・本ランキング10選
関連記事中学受験「歴史」の学習におすすめのyoutube動画ランキング10選
関連記事中学受験「歴史」の学習におすすめの単語チェック用、一問一答問題集ランキング10選